対人恐怖とは、普通の人なら誰でも感じる対人関係での不安や緊張感などを、自分だけにしかないものだと考えて気に病むものです。人付き合いは大変なものだ、人前では緊張するものだと思えば、ただその時に苦しいだけですんでしまいます。しかし、他の人は平気だが自分だけ苦しんでいると考えると、これは治さなければいけないとなり、対人恐怖になるのです。
主な訴え
対人恐怖の人の訴えは、挙げればきりがないほど多くあります。対人関係で感じる不快のことが、すべて症状となり得るからです。以下にその主なものを挙げてみましょう。
顔が赤くなるのではないかと気にする(赤面恐怖)。人前で緊張してあがる。自分の視線が相手に不快感を与えるのではないかと恐れる。逆に他人の視線を気になる。顔の造りが悪いと気にする。顔が緊張するのが気になる。人前で表情がこわばってしまう。体臭が人に不快感を与えているのでないかと恐れる。唾を飲み込む音や動作が相手に不快感を与える。
上記のようなことを恐れて、人前に出られなくなり、外出も困難になってきます。買い物に行けなくなったり、仕事を休んだりするようになると、日常生活にも支障が出てきます。
対人恐怖の例
笑顔が人に不快感を与える
板前をしていた男性は、人と話すときに自分の顔が緊張してゆがみ、人に不快感を与えるのではないかと気にしていました。新しい職場で親しい人もできないうちはいいのですが、やがて食事時に雑談をするようになると、それが苦しくてたまりませんでした。雑談の時には誰かがおもしろいことを言うと、自分も笑わないと失礼だと思います。しかし、緊張のため笑えないので、相手を不快にさせると苦しんだのです。そして1,2ヶ月のうちに我慢できなくなって退職するのです。顔の緊張で大変な思いをするよりも、新しい職場に行って方がまだ耐えやすいと思ったのです。そして、短期間で職場を転々とするようになりました。この人は2ヶ月の外来森田療法ですっかりよくなりました。
顔の緊張が気になる
高校を卒業して商社に入社した女性は、6ヶ月くらいしてようやく仕事になれてきた頃から、自分の机の正面にいる課長の視線が気になりだしました。視線を感じると自分の顔が赤くなって課長に笑われるのではないかと不安になりました。そのため正面に課長がいると気になって、用もないのに机を離れるようになったのです。やがて課長だけでなく、他の人と顔を合わせても、赤面が気になるようになってきました。通勤途中でも同じ事が起こるようになり、欠勤が多くなりました。このままでは生きていけない、治さなければと決意して、大学病院の外来に行きましたが、待っている間に周りの人の視線を感じて緊張してしまい、我慢できなくなって逃げて帰りました。最終的には森田療法施設に入院して、2ヶ月後に職場復帰しました。
対人恐怖の人の世間像
対人恐怖の人は、自分の症状をすべてに人が注目していると考えています。赤面を気にしていた女性は、職場の人全部が、自分の顔に注意を向けていると考えたのです。
けれども実際は普通の人は、町に出ても見知らぬ人の注目を集めることはまずありません。人はそれぞれ自分のことで頭が一杯で、見知らぬ他の人の顔が赤いかどうか、緊張しているかどうかなどを、いちいち気にしている暇はないのです。対人恐怖の人は誤った「スター意識」を持っています。
また、周りの人も自分と同じ価値観を持っていると考えています。自分が症状を起こすと、不快感を覚えたり、軽蔑して笑ったりして、対人恐怖起こす自分を受け入れてくれないと考えているのです。
このように、対人恐怖の人の考える世間の人とは、常に自分に視線を集中し、自分の弱点を容赦なく攻撃してくるゆるしのない人です。
しかし現実にはそんな価値観を持っている人はまずいません。人前で恥ずかしい思いをしたり、緊張するなどは、誰にでもあるごく当たり前のことで、いちいち注目するほどのことではないと考えているのです。
対人恐怖の人が恐れるもの
以上のような世間像は、誤った考えに基づいて作り上げられた虚像です。対人恐怖の人は、本当はありもしない世間の目に映る自分の姿を恐れているのです。森田正馬はそのような状態を、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という句を使って表現しました。こわい、恐ろしいと思っていたけれども、本当は何も恐れることはなかったというわけです。このことは、対人恐怖に限らず、あらゆる神経質症に当てはまります。
赤面恐怖のため、外出が困難になっていたある人は、絶対に治したいと思いました。それには恐怖突入しかないと、思い切って電車に乗ることにしました。乗ってみると、自分の方を見ている人は誰もいないということにすぐに気がつきました。今までは全員が自分の赤面に注目していると恐れていたのですが、そうでないことが分かったのです。
後になって、赤面を軽蔑したり嘲笑したりする人はほとんどいないことにも気がつきました。恥ずかしがることに対して、周りの人は自分が考えていたよりもはるかにあたたかかったのです。
少しもこわがる必要のないことを極端に恐れている、これが神経質症の正体です。
本当の欲求に気がつくこと
人に笑われたくない、人に不快な思いをさせたくないという思いの裏には、人に認められたいという強い欲求があります。この欲求を自覚することが大事です。
自分の本当の欲求を知るには、対人恐怖の症状がなくなったら、自分はどうするかという風に自問自答してみることです。赤面しなくなったら、人と自由に話が出来るし、仕事を辞めなくていいと思います。そうすると、人と仲良くし、仕事も続けたいというのが、その人の願っていることで、赤面しなくなることはそのための手段だと思っていたことが分かります。
先に挙げた板前の男性は、まじめに仕事をし、人が見ていないところで手を抜くなどということは全くできない人でした。自分のやった仕事に誇りを持っていて、掃除や洗い物でも心を込めて取り組んでいました。だからやめるときには、いつも惜しがられ引き留められるのですが、本当の理由を言うことはできませんでした。仕事が長続きするようになりたいというのが、この人の願いでした。
欲求を実現するための手段を間違わないこと
対人恐怖の人は、人に認められたいという強い欲求を持っています。症状をなくすことは、その欲求を達成するためになくてはならないものだ、症状があるから自分は人に認められないのだと誤って考えていただけなのです。
人に認められるには2つの方法があります。一つは人に信頼される人間になることです。そのためには仕事の能力をつけ、責任を果たすことが大事です。人に不快感を与えるのではと恐れて仕事を休んでいては、当てにならない人というマイナスの評価を受けてしまいます。緊張しながらでも仕事に行くのと、突然休むのとでは、職場の人にとってどちらが迷惑か、考えればすぐに分かります。
もう一つは、相手の存在を認め、相手に関心を持つことです。対人恐怖の人は、他人に弱みを見せず、人にない能力をつけて見上げられる存在になれば、人に認められると考え勝ちですが、そうではありません。人は自分のことに親身になってくれる人を有難いと思うのです。自分の症状ばかりが頭にあって、まわりの人のことまで考えられないようになると、「あの人は、私達には関心がないようだ」と思われます。
対人恐怖の人は、対人関係での悩み方が足りないのです。
対人恐怖を乗り越えるための恐怖突入
赤面恐怖で入院したある女性は、庭で作業をするのは苦痛でした。近くの渡り廊下を行き来する人に、赤面した自分の顔を見られるのがいやで、しばしば作業を放り出して部屋に逃げ帰っていました。そのたびに主治医から、庭に出されました。こんな事では大金を払って入院している価値がないと思い始め、何があっても作業を続けると決心をしました。どんなに苦痛でも時間までは庭で頑張ると決めたのです。ある時草取りに夢中になり、いつの間にか渡り廊下のすぐ近くまで来ているのに気がつきました。このとき、対人恐怖があっても、やれば何でも出来るのだと言うことを悟りました。
次に森田先生の対人恐怖の恐怖突入について書いてあるものを紹介しましょう。
強迫観念の単純なもので、理解がよく従順で、勇気のある患者は、上にあげた着眼点により説得したばかりで、治ることのあるのは、前の発作性神経症におけるがごとく、直ちに恐怖の内に突入することによって治るのである。例えば赤面恐怖の患者であって、電車に乗ることのできないものに対して、「勇気を奮い起こし、電車に乗って、自分の張り裂けるような赤面を衆人の前に曝すべし」という風に命じ、患者に猶予なく、直ちにこれを実行させるようなものである。ある患者は、これによって、わずかに3,4日の間に、多年の赤面恐怖を克服したことがある。これは一面から見れば、懺悔の心理にも相当したものであって、自己を赤裸々に、衆人の前に、告白発表するということによって、自我執着を去るものである。(全集第2巻375頁)
恐怖突入というのは、本当の恐怖に突入するのではなくて、自分が恐ろしいと誤って考えていることに突入するのです。たとえて言えば、ライオンのいる檻の中に入っていくのではなく、ライオンがいると信じ込んでいる空の檻に入っていくようなものです。
対人恐怖が治るとはどういうことか
人前で緊張する、恥ずかしくて顔が赤くなるなどのことは、普通誰でもあることで、異常なことではありません。だから治るということは、対人関係で何の恥ずかしい思いもしなくなることではないのです。対人関係でつらい思いをしてもだたそれだけで、それ以上に悩まなくなることです。人前であがることがあっても、ただそれだけです。あがったり恥ずかしい思いをするのは、いい気分ではありませんが、それで悩むことがなくなるのである。暑い時には汗でべたべたして不快です。しかし不快に感じていることで悩むことはありません。治るということはそういうことです。
治るとは、対人緊張に対する心構えが変わることです。誰にでもあることだからなくそうとしてもなくならないし、なくす必要もないものだと考えるようになることです。
さらに、人付き合いは気をつかうものだということが分かってきます。今までは症状を気にするあまりに、人付き合いで大事なことがおろそかになっていたことにも気づくようになるでしょう。そうなると、本当の気配りもできるようになってきます。
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