12.不問に付す

 患者さんが自分の症状や不安についていろいろと言ってきても、全く相手にしないことを、森田療法では「不問に付す」と言います。森田先生は、「患者が些細なことを気にするのに対して、ことさらにこれを不問に付して拘泥を去らんとするものである」と言っています(「森田正馬全集」第2巻207頁)。たとえば患者さんが「庭の草を取っていても、対人恐怖が出て苦しくなるんです」と言ってきたとしても、それについては全く取り合わず、「草取りはどこまでやりましたか」逆に質問するようなものです。
 日記指導を行う場合も、「夕食の買い物に、スーパーに行った。さんまとホーレンソウを買ってきた。帰りの坂道ですごい不安が起こった。少しの上り坂でもよくないようだ」という記述があると、「夕食の買い物に・・・・買ってきた」にアンダーラインを入れます。注を付けるとすれば「新鮮なサンマでしたか。ホーレンソウはどんな料理にしましたか」などとして、プラスの行動に注意を向けます。「不安が起こった」というところは、一切無視します。さらに進むと、「日記には行動したことのみを書いて、症状のことはいっさい書かないように」と指示します。
 不問に付すのは、物事の重要度を正しく判断するためです。どうでもいいことにこだわるなということです。「症状」などというものは、いちいち取り上げるほどの価値もないものである、もっと大事なことは、日々建設的な行動をすることだということを、口だけでなく、態度でも示すのです。症状をとることばかりに夢中になっている人に、私は次のように言うことがあります。「どんな人の前でも、全く緊張せず堂々としているということで、給料を払うくれる会社があるでしょうか?」。「毎晩ぐっすり眠れるというだけで、人から評価されるでしょうか?」。お金をもらったり、人に評価されたりするには、人の要求に応えなければなりません。それが大切なことなのです。

 しかしはじめから「不問に付す」のはよくありません。初めのうちは患者さんの言うことをよく聴いて、どんなことを悩み、どんな価値判断をしているのかを知ることです。まずは、徹底的に聴いて理解することです。言い分をよく聴くだけでなく、こちらからもいろいろと質問して、必要なことを聞き出すことも大切です。自分が理解するだけでなく、患者さんにも「自分のことはよく分かってもらえた」と思ってもらわなければなりません。このときには、助言も控えるべきです。相手のことがよく分からないと、適切な助言もできないからです。
 森田先生は、不問療法についてさらに次のように書いています。文中「この期間」とあるのは、入院療法の第2期(軽い作業療法)の終わり頃のことです。これを見ても、はじめから不問に付していたのではないことが分かります。
 「なお、この期間、患者が、自分の病症に対して、常に自らその経過を測量する心を打破するためには、なるべく患者に、自分の容態を言わせないようにし、またその患者がその苦痛を訴うるに対しては、いわゆる不問療法により、知らぬ振りにて、これを放任し、あるいは患者が『頭が軽くなった、精神が爽快になった』などと告ぐるに対しては、『これは単に一つの自覚に過ぎない。病症ということから見れば、苦痛と同一である。爽快の後には、その反動として常に必ず不快の来るものである。真の健康は、快と不快との感を脱却した時にある。胃部に何ものをも感じない時に、初めて胃の健康がある』という事を説得する」。(全集第2巻356頁)

 自分で、自分の悩みを「不問に付す」こともできます。そのためには、今、気にしていることが、悩む価値があるのかどうかを判断しなければなりません。悩んでもどうすることもできないこと、心の平和を失うだけのことだと判断すれば、自分で悩むことにストップをかけることです。
 ああでもない、こうでもないと、くよくよ考えるのをやめるための一番いい方法は、自分の本来の義務に立ち返り、しなければならないことに手を出すことです。仕事、掃除、洗濯、食器洗い、草取り、買い物、読書などやることはたくさんあると思います。
 どうでもいいこと、悩んでも何のいい結果も得られないことに、多大の時間とエネルギーを使い、大切なことをおろそかにしたしまう。この悪習を絶ちきる方法が、「不問に付す」ということです。

 森田正馬全集からの引用は、現代表記に改めてあります。
 D.カーネギー著「道は開ける」の中の、「悩みに歯止めをつけよう」、「おがくずを挽こうとするな」などの章も、参考になると思います。

13.気分本位

気分を物差しにして判断する
 気分本位の第一の特徴は、気分を何よりも大切なことと考え、気分を物差しにして物事の善し悪しを測ろうとする態度をいいます。気分がよければよかったと思い、悪ければだめだったと判断するのです。気分が悪いと、悪い気分の上に、これはだめだと判断が加わりますから、気分はよけいに悪くなります。
 神経質症の症状が出るか出ないないかを最も大事なこととして、義務を果たしたかどうかが二番目、三番目の問題になっているのも、気分本位です。こういう人は「仕事はちゃんとやっているんですけど、症状が出てくるんです」というような言い方をします。
 「今日は症状もなくとても気分が良かったです」と言って喜んでいるのも気分本位で、神経質症がちっとも治っていない状態です。この段階の人は、症状が出ると、とたんに落ち込みます。症状があるとかないとかいうことにこだわらなくなった時、治ったと言えます。
 気分がよければ仕事をし、悪ければやらないというのが、気分本位だと勘違いされる事がよくありますが、これは気分本位の本質ではありません。何を基準にして物事の善し悪しを判断するのかということです。
気分や症状のことばかり考えている
 自分の気分や症状にばかり注意を向けて、生活していくための大事なことに意識を向けないのも、気分本位のもう一つの側面です。対人恐怖の人だと、上司からの仕事の命令を聞いているときでも、自分の緊張ばかりに注意が向いて、上司のいうことを間違いなく聞き取るということがおろそかになります。気分や症状のことをことのほか大事にして、それ以外のことに気が回らなくなるのです。上司の前で緊張するのは当たり前のことです。緊張している自分ばかり考えて、大事なことが抜け落ちているのが問題なのです。
精神交互作用を起こしてますます不快になる
 不快気分を完全になくそうとして、自分の気分にばかり注意を集中していると、ますます敏感に不快気分に気がつくようになります。気分本位で判断して、不快であることは悪いことであると思うので、気分は悪くなるばかりです。
 何の不安も心配もない境地を求めても、それは決して得られません。苦楽はあざなえる縄のごとしというように、苦しみがあったり、楽しんだりしながら人生は進んでいくからです。極楽をあこがれると、不安や苦悩を受け入れることが出来ず、苦しみに苦しみを上塗りする結果となります。森田先生は「極楽をあこがれて地獄に苦しむ」と言いました。
 気分が悪いときには、悪いままでいるしかありません。

14.目的本位(事実本位)

自分の責任を果たしたかどうかを、第一のこととする
 物事の善し悪しを決めるときには、義務や責任を果たしたかどうかで決め、その時どんな気分であったかは問わないというの目的本位です。いくら気分よく働いたとしても、間違いだらけではどうしようもありません。
 小包の配達を頼んだ場合、配達する人がゆううつで元気がなかったけれども、問題なく届いた場合と、大変気分よく届けたが、中身が壊れていた場合だと、どちらがいいでしょうか。後れず安全に届くことを優先した判断をするのではないでしょうか。
事実をあるがままに受け入れる
 自分に起こってくることを、まずあるがままに受け入れ、自分の考えと事実が違った場合は事実を優先します。「人前では恥ずかしいものである」、「父母会には緊張しながら出席するものである」という風に考えて、恥ずかしがったり、緊張したりしている自分を受け入れることです。まず事実をあるがままに受け入れて、その上に立って、自分の責務を果たすにはどうしたらよいかを考えていけばよいのです。
気分によって行動を変えない
 目的本位の人は、気分によって行動を変えず、義務や必要に従って動きます。症状が出るのが不安だからやるべきことから逃げるのではなく、義務や必要を優先させて行動するのです。必要だから行動するという態度が身に付くと、あれはいやだ、これはやりたくないと不平を言うことがなくなります。
 気分は環境の変化に応じて、良かったり悪かったりするものです。気分は自分の思い通りになりませんが、行動は自分でコントロールすることが出来ます。どんな気分でも、一定の成果を出せるように心がけることです。

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