森田療法に学ぶ

 森田療法は、高知県出身の精神医学者、森田正馬(もりた・まさたけ)によって創始された神経症の治療法です。強迫神経症、恐怖症、心気症、不安神経症などに劇的な効果を発揮します。私が森田療法を学び始めた頃、ある先輩が「(森田療法は)武器ですね」と言いましたが、まさにその通りであったことが、臨床経験を積むにつれて分かってきました。薬も何も使わず、2,3ヶ月の外来あるいは入院治療で何年も悩んできた神経症が良くなっていくからです。
 それだけでなく日常生活での悩みにも大きな指針を与えてくれます。アルコール依存症の家族会でも、森田療法の感情や欲求についての話をするのですが、ある家族は、「こういうことを20年前に知っていたら、私の人生は大きく変わっていただろう」という感想を述べられました。

1.手段の自己目的化

 ある目的を達成するためには、そのための方法(手段)が必要です。魚を上手にさばくにはよく切れる包丁が必要です。だから包丁をよく研がなければなりません。手段の自己目的化とは、たとえて言えば、包丁を研ぐことに熱中して、魚をさばくという本来の目的を忘れてしまうことです。
 雑念恐怖の人は、勉強するときに雑念がわいてきて、能率が上がらないと訴えます。雑念がなくなれば、勉強の成果を上げることができると考えます。だから雑念を無くすことに力を入れるのです。座禅を組みに行ったり、断食をしてみたり、精神科を訪ねたり、様々な努力をします。そして雑念をとることに注意を集中して、勉強するという本来の目的を忘れてしまうのです。
 神経質性不眠症の人は、しっかり寝ていないと明日の仕事の差し支えると考えて、熟睡すること求めます。眠るために、ありとあらゆる努力をします。昨夜眠れなかったから体の調子が悪いと言って、仕事を休むこともあります。仕事をするという本来の目的を見失ってしまったのです。
 これと同じようなことが、日常生活の中でよく起こります。草取りをしていて、失敗することがあります。野菜のすぐ脇にしっかり根を張った大きな草があると、それをとるのに夢中になって、野菜も一緒に抜いてしまうのです。野菜を守ることよりも、草をやっつける方に心を奪われてしまうからです。草取りは野菜がよく育つための手段であることを忘れたのです。

2.異物化のからくり

 誰にでもある不快感や苦痛などを、自分にしかない致命的な欠点だと考え違いし、これさえなければ幸せになれると思いこんで、自分の中から排除しようとすることをいいます。別の言い方をすれば、些細な欠点の故に全体を否定する考え方です。
 対人恐怖の人は、人前で緊張する自分を受け入れることができません。緊張しない自分にならない限り、生き甲斐のある幸福な人生を送ることができないと思うのです。けれども、緊張する部分だけを、排除することは不可能です。森田療法をよく学ぶと、緊張する自分も、自分のうちだと思えるようになります。そして自分の対人恐怖ばかりを気にして、他人に対する気配りや思いやりがなかったことの方がはるかに問題だったと気づくのです。気に入らない自分も、自分の一部です。それをあるがままに受け入れることができるようになったとき、神経症の悩みは解消します。
 あることのために、自分の人生はだめだと思うことは、神経症に限らず多いのではないでしょうか。「だめな夫と結婚したから、わたしの一生はおしまいだ」と、アルコール依存症者の奥さんはよく考えます。けれども病気の夫を受け入れて、回復の努力をすると、最終的には、この夫と結婚してよかったと思うようになるのです。自分がマイナスだと思っていたことが、そうではなかったことが分かるのです。
 これさえなければと思うものを、自分の一部と思って受け入れ、それを持ったままで生き甲斐のある充実した生活をするにはどうしたらよいかと考え始めると、人生は開けてくるのです。

3.思想の矛盾

 こうあるべきだと考えることと、事実がくい違っていて悩むことをいいます。自分の考えと現実のギャップに悩むのです。
 どんな人の前でも、緊張したりあがったりすることなく堂々としているべきだと考えていると、びくびくしたりあがったりする自分を受け入れることができなくなります。何の不快感も感じないのが健康だと思っている人は、正常なときでも感じる痛みやかゆみでも、ゆるすことができなくなります。子供は学校から帰ったら勉強すべきだと考えていると、ランドセルを放り出して遊びに行く子供を見て、いらいらするでしょう。
 このようなときは、まず、事実をあるがままに認めることだと森田療法では教えます。人前で話すときには、びくびくどきどきするものだ。健康な人でも、痛みやかゆみを感じることがあるものだ。子供は遊びたいものだ。このように、事実をまず受け入れるのです。
 神経症で悩む人は、正常な状態について考え違いをしているのです。思想の矛盾をただすには、「正常」とか「普通」とか言われていることについての知識を得ることが大事です。それだけで長年の悩みが解消することも多いものです。雑念恐怖で悩んでいた学生は、友人は一心不乱に平気で勉強しているが、自分はやる気がなくなったり、ほかのことを考えたりして勉強に集中できないと訴えました。しかし、勉強は自分の怠け心と戦いながらやるものだと分かって、雑念で悩むことはなくなったのです。
 対人恐怖の場合は、人前で話すときには誰でも緊張してあがるという事実を受け入れ、そしてどきどきしたままで言いたいことを言うにはどうしたらよいのかと考えればよいのです。そうすれば、あらかじめ言いたいことをまとめておくとか、原稿を作るとかいろいろな工夫が生まれます。
 カーネギーの「道は開ける」(創元社)という本に、「恩知らずを気にしない方法」という章があります。彼は、人は生まれつき恩知らずだと言っています。まずこの事実を認めると、人に何かを与えても、感謝してもらおうなどとは思わなくなります。恩知らずな人間に囲まれていて、悩まないで生活する方法とは、「返礼を期待せずに愛情を振りまき始めることなのだ」とカーネギーは言うのです。どんな人も恩には報いるべきだと考えていると、恩知らずな人に腹が立つのです。

4.物の性を尽くす

 森田正馬先生は物を大事にしました。無駄に捨てることをせず、最後まで使い切ったのです。顔を洗った水を捨てないで雑巾掛けに使い、汚れた水を植木にかけました。
 東京の小平市にある国立精神神経センター武蔵病院では、院内に武蔵野の林が残っており、秋になると大量の落葉が出ます。その落葉を集めて豚小屋のしきわらに使い、豚の糞にまみれたものを積んで堆肥にし、野菜を育てていました。沖縄の田崎病院では、病院から出る生ゴミを集めてEM菌で肥料を作り、それを販売しています。森田先生と同じ考え方で、物を使い切っているところは今でもたくさんあります。
 一方で、現在はものがあふれており、何かに使えるだろうととっておくと、いつの間にか大量にたまってしまいます。私は裏の白い紙をファックスの印刷やメモ用にとってありますが、使う量よりもたまる量の方がはるかに多くて、捨てざるを得ないことがあります。
 けれどもこのような浪費の時代はそう長く続かないのではないでしょうか。

5.休息は仕事の転換にあり

 入院森田療法を受ける患者さんには、8時間寝床に臥床するだけで、それ以外は常に何かをしているような生活を勧めます。疲労感を訴えて、1日13時間は寝ないと気が済まないと言っていた人でも、この生活に十分耐えられます。
 東京都小平市の国立武蔵療養所(現・国立精神神経センター)にいた頃、森田療法の自助グループの「生活の発見会」の学習会を担当したことがあります。生活の発見会は、森田理論を学んで自分の悩みを乗り越えようとする人たちの集まりです。5時に病院の仕事を終えて、2時間ばかり車を運転して、小石川の発見会の本部まで行っていました。仕事の疲れは、座って車を運転している間にとれました。運転の疲れは、2時間の学習会で無くなりました。帰りは、かなりすいている道をまた車を運転して帰ったのです。
 仕事の組み合わせを考えると、特に休憩の時間をとらないでも、長く働くことができます。机に座ってする仕事に疲れると、しばらく掃除や片づけものをして体を動かす。そして再び座り仕事に戻るというようなことを考えると、別に休息の時間はいらないのです。
 同じ仕事を長く続けるしかない場合には、もちろん休憩した方がよいと思います。

6.心のやりくりをしない

 「一波をもって一波を消さんと欲す。千波万波交々起こる」という言葉を、森田正馬はよく使っています。池に起こった波を消そうとして、新たな波を起こすと、池はますます波立って収拾がつかなくなります。それと同じように、不快な気分をよくしようとして、心の中でやりくりをすると、ますますおかしくなるというのです。たとえば人前で緊張したときに、落ち着け落ち着けと自分に言い聞かしても何の効果もなく、よけいにあがってしまいます。
 だから、感情についてはさわらない方がいいのです。感情は、あるがままに起こってくるままにしておくしかないのです。
 私は小学4年くらいの時から、些細なことで腹を立てる自分に嫌気がさし、何が起こっても怒らなくなれば、どんなに生活が楽しいだろうと思っていました。5年生になったときに、叔父に「宮本武蔵」という本を買ってもらいました。後で聞いたことですが、そのとき叔父は余りお金を持っておらず、高い本がほしいといったらどうしようかと心配していたそうです。その本は170円で、手持ちのお金で買えたのでほっとしたとのことです。
 「宮本武蔵」の中に、都甲太兵衛という人が出てきます。彼は馬鹿だか利口だかよく分からない人でした。細川の殿様に、自分の家来で目に留まった者があるかと聞かれた宮本武蔵は、太兵衛の名をあげました。太兵衛は剣術ができるわけでもなく、他にぬきんでた技能は何も持っていませんでした。しかし生きるための心構えにみるべきものがあったのです。
 彼は、刀の試し切りに使う死体やわら人形のような心持ちで暮らしているというのです。わら人形は、斬りつけられても、黙って斬られるままです。そのような心持ちで生きれば、人と争うこともなく平安に暮らせるというわけです。
 私はこの話を読んだときに、「これだ」と思いました。わら人形なら怒るはずはないと、自分にも言い聞かせることにしたのです。いやなことがあっても、自分は人形だと思って我慢します。妹と喧嘩しそうになっても、わら人形を思い出します。はじめの2,3日は、この方法で大変うまくいきました。しかし、一週間もするとすっかり元に戻ってしまったのです。そして前と同じく腹を立てたり喧嘩したりしながら暮らすようになりました。私は、わら人形になりきることはできませんでした。
 私は森田療法を学んで、感情を思いのままにあやつることはできないことを知りました。今起こっている感情は、あるがままに受け入れるしかありません。  しかし行動は思い通りにできます。顔の表情もかなり自由につくることができます。感情をコントロールするということは、感情を表面に出さないこと、感情のままに行動しないことだったのです。

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