家族も自分の話をしてみよう

家族の話(1)

 「うちの主人も、結婚したときからひどい酒のみで、仕事はちゃんとやってくれていたのですが、泥酔して帰ってきて大声を出すことがよくありました。そのうち仕事もよく休むようになり、わたしがお酒のことを一言でも口に出すと、かっとなって暴れるようになったのです。殴ったり、蹴ったり、物を投げたりで、ちゃぶ台は幾つ壊したかわかりません。35歳くらいからは、仕事もほとんどしないで飲んでばかりで、一年のうち二回も三回も入院するようになりました。仕事もしないのにお金は使う、酒代を渡さないと暴れてでもとるという始末でした。
 お陰様で断酒会通いをするようになってからは、自分のお酒がどんなにひどいものであったか少しは気がついてくれたようで、現在は酒も止め仕事も真面目に行ってくれています。けれどもわたしが目を離すといつ飲むかわかりませんので、これからも主人共々例会出席でがんばって行きたいと思っています。よろしくお願いします」。

家族の話(2)

 「わたしが主人と見合結婚をしたのは、わたしが23歳の時でした。仲人さんのお話ですと、お酒は一杯くらいしか飲まないということだったのです。ところが結婚当時から大酒を飲んで大声を出すので、わたしはだまされたと思い、仲人さんを恨みました。こんなことが一生続くのかと、将来が真っ暗に感じたのを今でも覚えています。3年位すると飲み過ぎては仕事を休むようになり、そのことでわたしがちょっとでも注意すると殴ったり蹴ったりするようになりました。そのころは長男も生まれ、次男もお腹におりましたので別れることもできず、主人を恨み仲人さんをも恨んで、毎日泣きながら暗い生活を送っていました。わたしが31歳になった頃から、主人は仕事はほとんどしないで入院を繰り返すようになりました。そのころわたしは近所のスーパーで働いていましたが、酒代をせびりによく仕事場までやってきて、暴れてでもなんとしてもとるという具合いで、恥ずかしいやら情けないやらで何度仕事を変えようと思ったか分かりません。そのころは主人に対する愛情も何もなく、主人を殺してわたしも死のうと包丁を持ったこともありますが、子供のことを考えるとそれもできませんでした。
 現在は主人も酒を止めて仕事にも行っていますが、いつまで続くかなあと不安になったり、以前叩かれたことを思い出して、ひどく憎らしくなることがあります。しかし、主人もこの病気で苦しんで来たことを思うと、わたしの心も少しは安らぎます。これからもわたしが健康になるために通い続けたいと思っています。よろしくお願いします」。

二つの話のちがい

ありません。二番目の話は、自分がどう考え、どんなことをしたかと言うことが話されていて、自分自身の体験談だと言うことができます。家族教室でわたしは、飲んでいる人の話ではなくて、自分の話をしましょうといつも言ってきました。病状報告しかできない人に対しては、「そのときあなたはどんなだったですか」と質問したこともあります。それはなぜかというと、自分の人生で一番大切なのは、アルコール依存症者でもなく、環境でもなく、自分自身だからです。その理由について少し考えてみましょう。

環境よりも自分の生き方

 私たちは、環境を変えることはほとんどできません。与えられた環境の中で生きていくしかない場合が多いのです。しかも、その環境というのは、自分にとって好ましいものではなく、もっとましなものであって欲しいと思うことが多いのです。あの人がいなければ自分も幸せな生活ができるのだがと思っている人がいても、その人を自分の思い通りによくすることもできません。嫌な環境の中で、苦手な人とも付き合いながら、日々生活するしかない方法はないのです。そうだとすれば、一生不幸で不満だらけの生活をするしかないかというとそうでもありません。
 変えることの難しい環境の中でどんな気持ちで生活するかということは、自分自身で決められるからです。幸せを感じるのも、恨みながら暮らすのも、自分次第なのです。自分が生きがいのある人生を送れるかどうかは、他人や環境によるのではなく、今の自分の考え方や行動の仕方、感じ方によるところが大きいのです。
 そうだとすると、自分がどう考え何を言いどんな行動をしたかということが、とても重要なことになります。環境は変えられなくても、自分を変えることはできます。どんな環境の中にあっても、生きがいのある人生は可能なのです。このことをはっきりと認識すると、自分の人生を主体的に切り開いて行くことができるようになるでしょう。
 カーネギー著「道は開ける」(創元社)の17章「レモンを手に入れたらレモネードをつくれ」をお読みになると、このことがさらによく分かると思います。

どうとらえるかは千差万別

 同じ環境でも幾通りもの評価の仕方ができます。ある日の家族教室で、斉藤美津子著「きき方の理論」に書いてある方法に従って、家族の方全員に「この部屋の様子をありのままに書いてください」とお願いしました。できあがった物を並べてみると千差万別でした。間取り図みたいに書いた人もいれば、全員が座っている場面を書いた人もいました。窓と外の景色を書いた人もいたのです。これをみても見方は人によっていろいろです。私達は、自分なりの考え方、行動の仕方を持っていて、それしかない、それが全く正しいと思いがちです。しかし、自分の見方は、無数にある見方の中の一つでしかありません。だからこそ、自分の考え方、自分の行動の仕方をチェックしてみることも大切です。
 アルコール依存症の人の悪行や欠点ばかりに頭を奪われて、不安や怒りや恨みでいっぱいの生活をして、あの人がいる限りわたしの幸せはないのだあきらめている場合には、今の環境の中でももっと幸せに暮らすことができるはずだ、そのためには自分は何を考え何をすればよいのだろうかと考えてみてください。
 同じアルコール依存症者の人と生活していても、この人がこういう病気になってくれたおかげで、いままで全く見えなかった自分の欠点にも気づき、少しなりとも謙虚な気持ちになることができて本当にありがたいと毎日を感謝しながら暮らしている人もいるのです。

病気の言葉と健康な言葉を見分けよう

 「私は、あの人が何を考えているのかさっぱりわかりません。その日によって言うことが違うのです。仕事もしたいし、子供達にも父親らしいことをしてやりたい、そのためにもなんとしても酒はやめると言ったかと思うと、その舌の根も乾かないうちに飲み始めるのです。そして、俺の働いた金で飲んでどこが悪い、飲んで死んだら本望だ、酒は絶対にやめない、俺から酒をとったら何が残るなどと、わめくのです」。

 「あの人にはやめる気なんか絶対にありませんよ。だって、はっきり言ってますもの。酒だけが生きがいだ、これほど好きな酒をとられてたまるかって。先生の前では、やめられるものならやめたいなんて言ってますけど、あんなの嘘ですよ、だまされないでください」。
 初めて外来に来られた家族の多くは、アルコール依存症者の言うことに振り回されて混乱しています。やめる気がないというところだけを信じて、怒ったり、絶望的になったりするのです。しかし、この病気のことがよく分かると、アルコール依存症者の言うこともきちんと整理ができて、迷うことなく対処できるようになります。

どこが病気かを見極める

 病気を治すには、どこが病気かを見極めることが大切です。正常なところと病気のところとを区別するということです。虫歯を抜くときには、どの歯が虫歯になっているのかをまず知らねばなりません。そうでないと、なんともない歯を治療するかも知れません。ある本には、間違えて健康な足を切断されてしまった子供のことが書かれてありました。正常な部分と病気の部分とを区別できないと、とんでもない悲劇を招くことにもなるのです。体の病気ならこのことは比較的たやすいのですが、心の病気では、心そのものが見えないわけですから、かなり難しいことになります。
 体の病気では、病気のところとそうでないところは場所によって違います。ところが心の病では時間で違うのです。午前中はよかったけれども、夕方から荒れ出したといった具合です。時によってよかったり悪かったりする、これが心の病の表れ方です。

心の状態をみるには

 心の状態は、顔の表情、話し方やその内容、行動、服装などによって知ることができます。
 気分が爽快なときには、顔は輝いていて、声にも力があり、話の内容も明るく希望に満ちたものになります。歩き方にも元気があります。落ち込んだときには、表情は沈みがちで、小声で力無くしゃべり、肩を落としてとぼとぼと歩きます。あらゆることに無関心になると、顔も洗わずひげも伸ばし放題、服装も構わなくなります。
 心そのものは見えませんから、視覚、聴覚などを使って判断するしかないのです。

 アルコール依存症になると、体ばかりでなく心も病んでいきます。その言葉や行動には健康なところと病気の部分とがみられます。酒をやめて立ち直り、人に迷惑をかけず自立した生活を送りたいというところは、健康な心といってよいと思います。一方、絶望感からくるやけっぱちな気持ちや、他人に対する攻撃、劣等感の裏返しの誇大的な言動、飲酒の正当化、開き直り、飲酒問題の否認などは病気の心から出てくるものです。

 次にアルコール依存症によくみられる言動のいくつかを列挙して、健康か病的かを区別してみましょう。

健康な心から出るもの
1.なんとかして酒は止めたい。
2.皆に迷惑をかけて申し訳ない。
3.もうこれからは絶対に酒は飲まない。
4.酒さえなかったら自分の人生はましなものになっていたに違いない。
5.やめようやめようと思うがどうしてもやめられなくて苦しんでいる。
6.自分のやったことを反省して、しょげかえっている。

病気の心から出るもの
1.好きな酒を飲んでどこが悪い。
2.おまえ達にはなんの迷惑もかけていない。
3.飲んで死ねたら本望だ。
4.自分の金で飲んでるんだから、人から文句を言われる筋合いはない。
5.人生は太く短くだ。
6.些細なことを取り上げて、がみがみと小言を言う。
7.偉そうに他人を批判して同意を求める。
8.飲んだ理由を並べ立てて、素直に過ちを認めない。

 以上のことがきちんと区別できないと、病気が言わせている言葉に翻弄されて、二重人格ではないかと怒ったりするのです。
 健康部分と病的な部分とを、はっきり区別して対処できるようになると、今まで分けが分からない思っていたことが、はっきりしてくるのではないでしょうか。次に家族教室で学んだ人の言葉を聞いてみましょう。

回復した家族は

 「私は、主人は好きで飲んでいるとばかり思っていました。家族会から帰って主人の顔をよく見ると、ちっとも楽しそうにしてないですね。苦しいというより辛そうにしてるんです。これが病気で飲んでる顔だなと分かったんです」
 「主人と対するときには、病気が出ているかどうかをいつも考えるようになりました。病気が言わせている、やらせていると思ったときには、相手にしないようになり、今までみたいに巻き込まれて、かっかすることがなくなりました」
 「飲んでいる子供が何を考えているのか、さっぱり分かりませんでした。今では本当にやめたいんだなということが、よく分かります。そうすると子供の方も、何も飲みたくて飲んでいるわけではないとか、働いている友達のことを考えるとこうしてはいられないと思うなどと、正直な気持ちを話してくれるようになりました。それに対して、いらいらしたり、なんと情けないと軽蔑したりすることなく聞くことができるのです」

飲酒時の対応

飲酒をどう考えるか

 アルコール依存症が進行すると、何日か飲み続けて(連続飲酒発作)、その後何日か飲まないでいるということを、繰り返すようになります。飲んだりやめたりしていますが、そのどちらも、病気の状態です。飲んでないからといって、病気がよくなったわけではありません。
 アルコール依存症の知識がないときは、飲むのは悪、飲まないのがいいことだと考えて、飲ませないようにと一生懸命になるのが普通です。しかし、このやり方は、病気を治すという考えからすると、正しくはありません。何の効果もないことに多大なエネルギーを浪費したり、よけいな干渉をして事態をこじらせたりするのみです。飲酒に対しては、どのような考えで対処すればよいのでしょうか。

アルコール依存症の知識がなくて飲んでいる場合

 アルコール依存症になっていても、病気について何も知らないで飲んでいる人は、実に多いと思います。飲んで問題が起きても、今度は気をつけようと思うのみで、また同じことを繰り返してしまいます。病気のために飲酒をコントロールできなくなったことに気づかないわけですから、断酒しようとは思いません。飲み過ぎないようにしようとして、できもしないことに挑戦し続けるのです。
 この段階でまずしなければならないことは、アルコール依存症という病気があることを、知ってもらうことです。それにはいろいろな方法があります。家族がまず勉強をして、家族から話してあげるのもよいでしょう。アルコール関連の内科の病気で入院した場合は、入院中に一般向きのアルコール依存症の本を読んでもらうこともできます。アルコール依存症に関する本やパンフレットをそれとなく置いておくという手もあります。専門病院を受診すれば、専門医が話してくれます。
 完全に断酒する以外には、健康を取り戻すことのできない病気があることを知らなければ、アルコールを断とうという気にはなりません。ただ「やめろ」と言うだけでは、何の効果もないのです。なぜ断酒しなければならないのか分からないからです。

自分がアルコール依存症だと思ってない場合

 病気の知識はあっても、なお飲み続けている人もたくさんいます。自分はアルコール依存症ではないと思うからです。こういう人々は飲みすぎるのは確かに悪いが、全くやめなければならないほど、自分の酒はひどくないと考えています。そして問題の起こらない程度に飲めばよいと思っています。この考えはきわめて頑固なことが多く、専門医といえども、説得することはできません。
 「酒が教えてくれる」という言葉がありますが、ほどほどに飲めなくなっていることを認めるには、思い通りに飲んでみるしかありません。アルコール依存症であれば、飲むと必ず問題が起きるはずです。飲んでうまくいかなくなるという苦い経験を通してのみ、自分には断酒しかないことが理解できるのです。
 しかし、これには時に危険が伴います。生きて酔いが覚めるという保証が無いからです。命は残っていても、回復の見込みのない体の病気が起こってしまうこともあります。それでもこの方法しかない人がほとんどなのです。

断酒は自分の力だけでできると思っている場合

 自分には断酒するしかないと理解しても、それを一人でやり遂げようとする人もいます。断酒会やAAも知ってはいますが、あれは意志の弱い人たちが助け合ってやめる所で、自分には必要ないと自信を持っているのです。こういう人の断酒は、たいてい数カ月とは続きません。この場合も飲んでうまくいかなくなることによって、一人でやめ続けることはできないことを、認識するしかありません。
 これらのことから、アルコール依存症から回復するためには、飲酒が必要な場合があることが分かります。飲んで失敗することなしに、専門家の意見を受け入れることができれば、これに越したことはないのですが、「酒に教えてもらう」しかないことが非常に多いということです。

安定剤代わりに飲酒している場合

 腹が立ったり、いらいらしたり、気分が落ち込んだりしたときに、飲酒以外の解決方法が思いつかない人もいます。
 とことん飲んだアルコールが覚めた時には、実に情けない気分になります。これをよくするために飲酒する、それが覚めるとまた落ち込むという悪循環に陥り、飲酒が止まらないことも多いものです。また、バスに乗り遅れたとか、仕事を断わられたとかいうようなことで、飲み始めることもよくあります。精神的な動揺への対処方法を知らないのです。
 こういう場合には、不快な感情に対する対処の仕方を学ぶことが大切です。例えば一旦起こった感情は時が立てば消えることを知っていると一時の辛抱が容易になります。あるいはどんな出来事にもプラスの面もありマイナスの面もある。プラスに生かせるかどうかは自分次第ということが分かっていると、思い通りにならないことが起こっても、感情的にならないで冷静に対処することができます。

精神的な居場所がない場合

 家族関係が飲酒を促すこともあります。家族の心の中に、「信用できない」、「ゆるせない」、「いつ飲まれるか分かったものではない」という気持があって、被害者意識や監視の目でアルコール依存症の人を見ていると、その中で生活する方も、大変な孤独感やストレスを感じます。断酒を続けなければと思っていても、我慢の限界を越えて怒りを爆発させ、ついアルコールに手を出してしまうということになります。
 これに対しては、家族の回復も必要です。家族は、自分の被害者意識や不信感を克服しなければなりません。アルコール依存症の人を、やっかいな病気にかかって苦しんでいる人、その病気を克服しようとして努力している人として見ることができるようになることです。そのためには家族教室や家族の自助グループに参加して、仲間の中で学ぶことです。
 自分の存在を認めてくれない人の中で、生活しなければならなくなってしまったアルコール依存症の人はどうすればいいのでしょうか。まずは、家族もアルコール依存症に巻き込まれてしまっていることを理解することです。家族の立場に立てば、そうなるのもよく分かるということです。もう一つ大切なことは、今のままの自分で安心できる人間関係を見つけて、その中に身を置くことです。断酒会やAAなどの自助グループに参加するのが一番いいのではないでしょうか。

何が問題かが分かっている場合

 何も心配する必要のない飲酒もあります。それはアルコール依存症の御本人が、自分の問題がすべて分かっていて、どうすればよいかも知っている場合です。いくつか例を挙げてみましょう。
 病気のこともよく理解して、断酒の努力をしている最中につい飲んでしまう、そして飲んだことを大いに悔やんでいる、いわゆる酒の魔力にとらわれたと言える場合。
 断酒会から足が遠のいてしまって、酒の誘惑に負けて飲酒し、やっぱり例会は欠かすべきではなかった、一からやり直しだと思っている場合。
 2、3年やめた後で、もう体質も変わって飲めるようになったかも知れないと、試し飲みをしたがうまくいかず、しまったと反省している場合。
 こういうような場合は本人が問題点に気がついて反省し、軌道修正しようとしているわけですから、まわりからは何も言う必要はありません。むしろ、しまったという気持ちを分かち合いながら、あたたかく見守ることが一番よい方法です。

まとめ

 以上のようなことを考えてもみると、酒を飲ませないようにしたり、飲酒を非難するだけの対処が、何の効果もないことが分かるでしょう。アルコール依存症の回復過程のどこにいるのかをよく理解して、それに応じた対応が大切なのです。

家族は何を改めるべきか

アルコール依存症についての間違った考え方
1.アルコール依存症者は意志が弱いと思う
 アルコール依存症者は、病的飲酒欲求に駆り立てられて飲酒します。意志が弱くなるのではありません。飲酒欲求が病的に高まり、正常の意志の力ではコントロールできなくなるのです。
 意志は欲求の整理係です。同時に起こる欲求を整理して、もっともふさわしいものを行動に移す働きです。欲求があまりに強ければ、意志でコントロールできなくなります。

2.アルコール依存症者は酒が好きだから飲むのだと思う
 アルコール依存症者の飲酒の理由は、病気から来る病的飲酒欲求です。病気の身体がアルコールを要求するために飲んでいるのです。
 酒好きではなかったけれども、営業上のつきあいで仕方なく飲んでいるうちにアルコール依存症が発病したような場合もあります。好きで飲んでいても、そうでなくても、アルコール依存症になってしまえば、病気が原因で飲むのです。
 そのことは、飲酒中の表情や言動を見れば分かります。苦しそうに飲んでいて、好きな酒を楽しんで飲んでいるようには見えません。

3.飲み過ぎないようにしてくれたらよいのだがと思う
 飲酒量を自分でコントロールできないのが、アルコール依存症です。完全断酒するか、問題飲酒を続けるかしかないのです。ほどよいところでやめられなくなったことを認めることです。

4.アルコール依存症者には、酒をやめる気など少しもないと思う
 やめる気のないのは、正常飲酒者です。飲んでも何の問題も起きないので、やめる必要がありません。  酒で問題を起こしたくないと思いながら、どうにもならないで苦しんでいる。それがアルコール依存症の人です。  病気にかかると、病気を治したくなります。風邪の人は、風邪を治したいと思いながら、風邪で苦しんでいます。

5.酒がやめられないのは真面目にやらないからだと思う
アルコール依存症を治すために必要なものは、
  1. 治したいという欲求
  2. 専門治療を受けること
  3. 回復した人との交流
  4. 治すための努力を続けること
 などです。真面目な気持ちも必要ですが、それだけでは治りません。

6.アルコール依存症者はわがままである
 アルコール依存症者になると、飲酒すること、アルコールを調達すること、酔いをさますこと、離脱症状を我慢することなどでほとんどの時間をとられ、それ以外のことはできなくなります。また、飲めさえすれば後のことはどうでもいいという病的な心理状態に支配されています。これらのことは病気の症状で、性格の問題ではありません。

7.アルコール依存症者は嘘つきだと思う
 断酒したいと強く思っても、病気のために実行できません。もう飲まないと言ったのに、すぐ飲み始めるのはこのためです。嘘を言っているのではなく、本心を実行に移す力がないのです。
 酔ったときのことを全く覚えていないことがあります(ブラックアウト)。覚えがないと言っても、嘘ではありません。
 飲めさえすればどうでもいいという病的心理のために、嘘を言うこともよくあります。嘘を言って、アルコールや酒代を手に入れようとします。
 飲酒を隠そうとして、嘘を言います。欠勤の言い訳などでも、飲んでいるので仕事に行けないとは言いません。
 家族もアルコール依存症者に対して、本当のことを言いません。保健所に相談に行ったのに、買い物に行ってきたなどと言ってごまかすのです。

8.完全に飲まなくなるまで、どんなに長くかかってもいいから入院させておいてもらいたいと思う
 いつでも飲める社会の中で、自分にとっての酒の害を知り、自らすすんで飲まない生活を選びとる気になってもらうのが治療の基本です。
 体からアルコールが完全に抜ければ、飲まなくなるという考えは間違いです。どんなに長く飲まないでいても、一杯飲めばすぐにもとに戻ってしまいます。
 完全に飲まないという保証が出来るまで入院させようとすると、死ぬまで待つしかありません。

9.自分が被害者であって改めるべきところは何もない
 アルコール依存症の人もその家族も、病気の被害を受けています。
 家族は次の点を改めるべきです。
  1. アルコール依存症についての誤った考え方。
  2. 治そうとして間違った対応をすること。
  3. アルコール依存症者に対するマイナスの感情(怒り、恨み、被害者意識、復讐心など)
  4. 消極的な生活態度。
 アルコール依存症者も、無理解な周りの人から被害を受けています。 非難され、軽蔑されます。病人ではなくて、人間的にだめな人として見られ、その存在を否定されてしまいます。

10.アルコール依存症者を責めたり非難したりする
 責めたり非難したりしても、飲酒は決してよくならず、人間関係が悪くなるのみです。非難や説教で治る病気はありません。病気にかかっているのですから、専門的な治療を受けることを考えるべきです。

11.飲まない約束を取りつけようとして一生懸命になる
 アルコール依存症になると、飲酒についての約束は守れません。将来の計画も飲酒のために実行できなくなります。素面でいてほしいときに限って酔っぱらっています。
 約束と取り付けようとせず、相手の言う約束も受け入れてはいけません。病気のために、約束を実行できなくなっていることを理解することが大切です。

12.酒をやめてもらおうと思ってアルコール依存症者を脅すが、そのとおりに実行しない
 脅しても飲まなくなるわけではありません。脅しで治る病はないのです。
 実行を伴わない脅しを繰り返していると、信用をなくします。言うだけで実行しないことを見透かされるのです。
 本心だけを言い、言ったことは必ず実行するようにして、相手から一目置かれる存在になることです。

13.兄弟、親戚、宗教家など、アルコール依存症についての専門知識のない人に相談を持ちかける
 素人に相談すると、やさしくした方がいい、いや厳しくすべきだだなど、矛盾した助言をもらって混乱してしまいます。最終的には、あなたが悪いから飲むのだということになります。
 遠方でも専門医療を受けられるところを探すべきだと思います。

14.アルコール依存症者のやった不始末の尻拭いをする
 病気を治そうという気になってもらうには、病気の苦しみを本人が味わうことです。こんなに苦しいのだったら、やめた方がまだましだと思わないと、治療を受ける気にはなりません。
 周りの人は、楽に飲み続けられるような援助をしないことです。周りが困らないで、アルコール依存症者が困るようにするにはどうしたらいいかという風に考えます。

15.飲酒の理由をなくそうとする
 本当の飲酒の理由は、病的飲酒欲求です。病気を治せば、飲まなくなります。
 アルコール依存症者の言う飲酒の理由に振り回されないことです。それは自分の飲酒を正当化するための、言い訳に過ぎません。家族が大変な苦労をして一つの理由を無くしても、アルコール依存症の人は、瞬時に次の理由を考え出します。
 アルコール依存症の治療ということに、考えを集中することです。

16.アルコール依存症者に酒を飲ませまいとして、あらゆる努力をする
 家族には、飲酒をコントロールする力はありません(回復のステップ1)。
 家族は、自分自身の問題をよくすることはできます。飲むか飲まないかは相手に任せて、余った時間とエネルギーを、自分の回復のために使うとよいと思います。
精神的な不調
17.いつも世間体の悪い思いをしている
 家族の一人がアルコール依存症であるといっても、自分に責任があるわけではありません。行きたいときに、行きたいところに出かけていくようにして、引きこもり勝ちにならないことです。
 家族会などにどんどん出て、仲間を作ることも大切です。

18.アルコール依存症者のせいで自分の一生がめちゃめちゃになったと思う
 自分のために、アルコール依存症者はどんな思いをしているだろうと、相手の立場で考えてみましょう。
 困難な環境に置かれていること、即不幸なことではありません。失敗、挫折、苦難はよく肥えた土壌のようなものです。そこから新しい命がすくすくと育っていきます。困難な環境には、そこでしか得られない恩恵があります。自己憐憫に浸るより、その恩恵を手に入れる方がはるかにいいでしょう。

19.アルコール依存症者が死ねばいいと思う

20.アルコール依存症者を殺してやりたいと思う
 他人の存在価値を認めない気持があると、まず傷つくのは自分自身です。自分の身を守るには、相手を認めることです。

21.将来のことが不安である
 不安には、人を行動に駆り立て、将来の失敗を未然に防ぐ働きがあります。不安が起こったときは、これから先が良くなっていくように、今すぐ、行動を始めます。
 アルコール依存症について勉強する、家族会に出席するなどのことを一生懸命やるとよいと思います。

22.アルコール依存症者が飲酒をしていると精神状態が悪いけれども、飲まないでいるときは比較的に安心しておれる

23.アルコール依存症者が飲んでいるかどうかがいつも気になる
 飲酒は悪、飲まないことは善というのは、病気が分かっていないときの考え方です。アルコール依存症には、飲まない病気の状態と、飲んでいる病気の状態とがあります。
 アルコール依存症についての知識が無くて飲んでいるときは、まず知識をつけることを考えねばなりません。知識はあるが、自分がアルコール依存症だと認めていないときには、飲酒してうまくいかなくなることを通してしか、考えを変えないことがほとんどです。ですから、思い通りに飲んでもらって、うまくいかなくなるのを待つのです。断酒会では「酒が教えてくれる」と言います。飲酒を悪と考えるのではなく、治療に利用することを考えるべきです。

24(妻).できることなら離婚したいと思う
 家族としてできることを何もやらないうちに、こう思うようになることも多いものです。
 離婚してしまえば、アルコール依存症に真正面から取り組むことによって得られるものは、手に入らなくなります。環境を変えただけで、自分が変わることにはつながらないからです。
 最後は自分で決断すべき問題です。

24(親).子どもがこんなになったのは自分の育て方が悪かったためだと思う
 アルコール依存症の原因は、子育てにあるのではありません。
 「こんな子供」という言葉には、「価値がない」という判断が含まれています。断酒会で親がこのような懺悔をするのを聞いて、子供が激怒したこともあります。

25(妻).アルコール依存症者から体に触られるだけでもいやである
 これからも夫婦としてやっていきたいのか、自分の願望をはっきりさせる事が大切です。一緒にやりたいのなら、うまくいくような行動を起こすことです(気持ちの整理がついてから…と考えない)。行動が変われば、後から気持ちも変わってきます。

25(親).子どもがきちんとするまでは死んでも死に切れないと思う
 手放せばきちんとします。手放すということは子供を信頼することです。自分のことは自分で解決できるということを、行動で示すことになります。
生活能力の低下
26.飲まれるのではないかという不安から、アルコール依存症者から目を離すことができず、行きたいところにも行けない
 家族に飲酒を止める力はないということをはっきりと認識することです。家族がそばにいると、家族に対する怒りや恨みから、必要以上に飲むこともよくあります。

27.家事や仕事が手につかないことがある
 雑用には、不安や悩みを吹き飛ばす作用があります。雑用を片づけると、満足感が得られ心が前向きになるのです。
 家中を見て、やるべきことを書き出して、一つ一つ片づけていくのもよいでしょう。気分がよくなったらやるのではなく、悪いままに手を出していくのが大事です。

28.暴力が怖くて、アルコール依存症者の言いなりになったり、言いたいことも言えなかったりする
 アルコール依存症になると、飲んで困っても後片づけをしてくれる人に頼らざるを得なくなります。暴力、世間体、退院などの家族の弱みを利用して、思い通りに動かそうとするのです。相手の操り人形になってはいけません。
 アルコール依存症をよく学んで、治すために正しいと思うことを、勇気を持って実行することです。
 相手は病人であり、他人に依存しなければ生きていけないくらいに力をなくしています。

29(妻).アルコール依存症者に対する愚痴や不満を子どもに言う
 自分だけで持ちこたえられないような問題に出会ったとき、すぐに聞いてもらえる仲間を見つけることです。子供をカウンセラー代わりに使わないことです。

29(親).子どものやることなすこと一々口を出さないと気が済まない
 子供のことは子供に任せることです。それは、あなたは信頼できるという無言のメッセージです。自分が安心したいためだけに口を出していないか反省してみましょう。

30(妻).アルコール依存症者に対して腹が立っているときに子どもにあたる
 子供から見れば、たいしたことでもないのに叱られることになります。子供に対して首尾一貫した態度がとれなくなり、子供は混乱します。
 怒りは時間が経てば、おさまります。怒りのままに行動しないことです。

30(親).初めは反対していても、最後は子どもの言い分に負けて言いなりになる
 よく考えて決定し、いったん決定したことは最後まで貫くことです。
身心症
31.体の具合が悪くて病院に行ったところ、精神的なことが原因であると言われた

32.アルコール依存症の問題がない夜でも、眠れないことが多い

33.頭がすっきりしない

34.体がだるく疲れやすい

35.食欲がない
 精神的なことが原因で、体の具合が悪くなることがあります。家族教室などに出席して、仲間ができ病気のことも分かってきて精神的に楽になると、嘘のように回復することが多いものです。

この項については、森岡洋著「誌上アル中教室」(星和書店)に詳しく書かれています。

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