第8章 感情について

 飲み続けるアルコール依存症者に対する家族の怒りや恨み、自分のことを理解せずに非難する家族に対するアルコール依存症者の怒りなど、この病気では腹の立つことが実に多い。また不安や抑うつ、自責感などの不快な感情もよくみられる。病気の回復をはかろうと思えば、このような感情を、アルコールに頼ることなく乗り越えて行かねばならない。
 この章では、感情の法則について学び、持てあましやすい感情とどうつきあって行けばよいかを考えることにする。
感情とは何か
  環境や体の内部からの刺激によって起こる、心の変化、内面の感じを感情という。美しい景色を見て爽快になる、人からいやみを言われて腹を立てる、激しい痛みを感じて不安になるなどのことは、感情の動きである。感情はその起こり方や性質によって、いろいろに分類されている。
  • 感覚感情・・・視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚など五感の刺激にともなって起こるものをいう。
  • 身体感情・・・腹が減る、満腹になるなど身体の状態によって変化する感情。
  • 社会感情・・・喜怒哀楽、恨み、憎しみなど人間関係の中で生じるもの。
  • 情操・・・音楽や美術作品に接して感動するとか、宗教によって心の平安を得るとかいうように努力や修練を経て初めて味わうことのできる感情。
  • 情動・・・怒り、喜び、悲しみなど、身体の動きをともなって激しく起こるが一時的である感情。
  • 気分・・・うれしい、悲しいなどのように静かに比較的持続するもの。
不快感情と飲酒の悪循環
 アルコール依存症になると、日常生活はうまくいかず、劣等感や自己嫌悪、不安や抑うつに悩まされる。酔っぱらって、すべてを忘れようと思って飲酒すると、一時的にはよい気分になり、なんでもできる強い自分がよみがえってくる。しかし、飲めば多くの問題が起きる。また、大量のアルコールは、それが切れる頃には気分を落ち込ませるので、前よりももっと不快で何ともいえない情けない気分で酔いがさめることになる。この気分の悪さを、しらふで耐えることはむずかしく、また酒に手を出してしまう。その酒がさめる時には、さらに嫌な気分になる。飲酒によって不快気分を解決しようとすると、ますます泥沼にはまっていく。
 アルコール依存症が進行すると、いくら飲んでもいい気分になれなくなる。頼りにしていたアルコールにも裏切られたのである。
感情は放置すれば消失する
 森田療法の創始者である森田正馬は、感情は「その自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、ひと昇りひと降りして、ついに消失する」と言っている。
 この法則は、特に怒りに対して適用することができる。腹の立つことがあっても、態度に出すことなくそのままにしていると、怒りはやがて消失する。相手を罵ったり、ものに当たったりすると、後で損をすることが多い。
不安などの不快な感情に対しても、この法則は有用である。嫌な感情でも時間がたてば必ず消える、ということを頭においておけば、アルコールや薬の力を借りることなく、一時の辛抱をすることができるようになる。
感情を起こす刺激に慣れるに従って、感情は鈍くなってくる
 感情は刺激に対する反応として生じる。いい景色を見て爽快になる、家族の死に接して悲しくなるなどのごとくである。しかし、感情を生起する刺激に何回もさらされていると、だんだん慣れてきて感じなくなる。
 人前で話すときは、はじめはひどくあがって緊張するが、何回もやっていると慣れてきて、初めの時ほどは動揺することなく話すことができる。
 閉鎖病棟に入院する場合も同じである。初めての入院の時には、入り口のドアーにカギをかける音の聞いてショックを受けた人でも、何回も入っていると、何とも思わないどころか、ほっとするようになる。
 苦手なことは何度も繰り返して慣れるようにし、慣れては困るような悪いことからは遠ざかることである。
感情は短時間に刺激が継続して起こるとますます強くなる
 喧嘩をするときのことを考えると分かりやすい。罵る、ものを投げる、叩くなどのを繰り返しているうちに、怒りはどんどん強まり、自分でもコントロールすることが難しくなる。仲裁に入った者が、喧嘩している者同士を引き離そうとするのは、刺激から遠ざけることによって、これ以上怒りを引き起こさないようにするためである。
 怒ってもろくなことがないと思えば、怒りを起こす刺激のあるところから遠ざかるのが一番である。
新しい経験によって初めて味わうことのできる感情もある
 努力、修練、あるいは経験の積み重ねによって、新しい感情が育ってくることも多い。強打者を三振に打ち取ったときの投手の爽快感などは、きびしい練習を積み重ねた後に初めて味わうことができるものである。自助グループに出会って本当によかったとか、12ステップを徹底してやったから今の自分があるなどという気持ちは、何年もたってから出てくるものである。
 だから何をやるにしても、最初の辛抱が大切である。はじめの頃に面白くないからといってやめない方がよい。何年もの間こつこつと努力してはじめて味わうことのできる世界がある。長い努力の向こうの世界は、ひと味もふた味も違うものである。
感情は環境によって変化する
 感情は内外の刺激に対する自分の反応として生じるので、環境の変化に応じて変わるのが普通である。人からほめられれば嬉しくなるし、けなされれば腹が立つ。強い痛みは不安を起こす。感情はよかったり悪かったりしながら、変化す。日常生活に支障がない程度に感情が動揺している状態、これが正常な心である。だから、いつも快適な心の状態でいようと思っても、普通の人には無理だということである。
 環境を変えれば、感情を変えることはできる。孤独でたまらないときに、自助グループにいって仲間と話とすると、孤独感は消えるだろう。家でくさくさしているよりは、思い切って家を飛び出して公園にでも行ってみれば、気持ちはすっきりするだろう。
 しかし、職場や家庭など簡単には変えることのできない環境も多い。そのときには、自分を変えることによって対応するのがよい。
感情は自分の思い通りにならない
 感情を意のままに操ることは不可能である。今起こっている感情は、あるがままに受け入れるしかない。感情の中には、快と感じられるものと不快と感じられるものとがある。不快な気持ちでいたくない、いつもいい気分でいたいと願っても、そうはいかない。怒りや悲しみ、不安などを自由に消してしまうことはできない。爽快感や喜びだけを感じながら生活したいという願望も、実現不可能である。
われわれは天気を思い通りにしようとはしない。晴れの時は気持ちよく、あらしの時はそれなりに生活する。感情との付き合いも、これと同じである。  どんな感情の時でも、日常生活に支障をきたさないように工夫していけばよい。思い通りに感情を動かすことは不可能だが、考え方と行動を変えることはできるのである。
感情は認識によって、変化する
 感情は環境に対する人間の反応として生じるので、同じ環境にいても、人によって生じる感情が異なる。自分が変われば、感情も変化する。
 酒は絶対にやめられないと信じていれば絶望的になるだろうが、断酒して健康な生活をしている人がたくさんいるということが分かれば、絶望感は消えて希望が湧いてくる。逆境や失敗によって成長できると考えている人は、困難に出会っても、嘆き悲しむことはなく、この経験から何が得られるだろうかと落ち着いて考える。
 このように、知識を身につけるとか、人生観や価値観を変えることによって、間接的に感情に影響を与えることができる。
 アルコール依存症になったからこそ今の自分があると、感謝している人もたくさんいる。
感情は行動によって変化する
 行動は、感情に大きな影響を与える。行動は自分の自由になる。自分の思い通りにできる行動を使って、感情に影響を与えることはできる。
 楽しく笑って暮らしたいと思う人は、楽しそうに振る舞えばよい。そうすると、感情が後からついてくる。
 掃除をする、整理整頓をするなどの方法で、気持ちのよい環境をつくるというのも、感情に影響を与える。

この章のまとめ

 感情は自分の思い通りにならず、あるがままに受け入れるしかない。しかし、認識や行動を変えることによって、間接的に感情を動かすことはできる。いつも不愉快に暮らしている場合は、考え方や行動を変えるようにするとよい。それによって不快な感情に支配されることなく、楽しく生き甲斐を持って暮らすことができるのである。
 つぎに森田正馬の感情の法則をあげておこう。
 (1) 感情はそのままに放任し、またはその自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、ひと昇りひと降りして、ついには消失するものである。
 (2) 感情はその衝動を満足すれば、急に静まり、消失するものである。
 (3) 感情は同一の感覚に慣れるに従ってにぶくなり、不感となるものである。
 (4) 感情はその刺激が継続して起こるときと、注意をこれに集注するときとに、ますます強くなるものである。
 (5) 感情は新しい経験によってこれを体得し、その反復によってますます養成される。

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